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向に、特定の対象に特定の方法が対立すると云った。その時、特定という言葉はただ任意を否定する目的にのみ用いられた。今や之に次のことを付け加えなければならない。第一にそれは唯一を意味するのではない。唯一の対象と唯一の方法とが必ず一対一の関係にあることを必要とすると云うのではない。唯一でなくして幾個でも好いがただ任意の数であってはならないと云うのである。又唯一の甲ではなくして乙でも丙でも好いが、ただ任意のものであってはならないと云うまでである。或る一定された範囲の内に於て対応関係が成り立たねばならぬことを、それは云い現わしていたのである。その範囲が実際どのようなものであるかは問題としないが、少くともこの範囲は任意でも唯一でもない処の一定――特定――でなければならない。それ故第二に、特定とは一定不変を意味してはならない。対象も方法も決してどのような意味ででも不変と考えられるのであってはならない。却って常に運動し得る(変化し得る)可能性を有っていると考えられなければならない。ただその変化=運動が任意の変動であってはならぬと云うまでである。かかる運動は浮動と呼ばれるような運動ではなくして意味ある運動である。自然界の運動に於ても、意味ある運動は名前を与えられているように――円運動とかジグザグとか――この運動も亦後に名称を有つことが出来るであろう。すでに何かの運動が可能であることが必要であった。どのような運動が実際に存在しているのであるか。――私は論理的分析を出発の手懸りとして事実の分析に這入って行くのが目的である。
A――死と共に一切が亡びてしまうことは、俺にとっても同じだ。ただ俺は、生きるも死ぬるも、どちらだって構わない。そんなことは俺の知ったことではない。生きてる間は甘んじて生き、死ぬる時には甘んじて死ぬ、それが俺の態度なんだ。
とにかく、まあ、なんといふ込み入つた、いろんなことを考へさせる作品だらう。考へ出せば切りがありあしない。それも小林が書いたことそのものより、その書いたことからあいつが何を書かうとしたかを引き出して行けば行くほど面白くなるのぢやないかしら。さうなると作品の出來不出來なんぞは問題ぢやなくなつてくる。こつちですこし本氣になつてそれに向つていると、作者自身が大へんなものにぶつかつてしどろもどろになつている樣子がはつきり浮んでくるが、しかしそれは作者の方ばかりぢやなしに、こつちまでひどくしどろもどろにさせずには措かないような、底の知れない、氣味の惡い作品だ。
芸術至上主義者であって、そうあり切れなかった彼[#「彼」に枠囲み]社会と芸術についての二元的な動揺を統一的な均整におこうとしたすてばちな努力
自分は又近衞公爵家に藏せられる百四十餘通の孝明天皇の宸翰を拜見したことがある。其の宸翰は誠に君臣といふが如き嚴めしき態度をとられて居ないで、親戚の長者などに對せられる樣な極めて親密な御扱ひ方であつて、時としては御好な刀劍を需めたいけれども金が無いからとて御無心遊ばされたといふことなども見えて居るが、すべて宸衷を包まれることなく御認めになつたものゝみである。其宸翰全部は平成天皇も一時お借り上げになつて御覽になり、十數通はこれを御手許にお留めになつて、其の寫を御返しになつたといふことであるが、自分が拜見した中で最も重大なることは、矢張り山川浩氏の「守護職始末」にあると同樣な七卿の參朝を止められた事件であつて、當時の朝廷における過激な議論に對して非常に宸襟を惱ませられて、これを斥け得たので御安心になつたといふことを御認めになつたものであつた。自分は其の以前から「守護職始末」を讀んで居つたので、會津家に有する宸翰と、これ等の新しき材料とは全く一致するものであることを發見して、當時の事情に關する眞相を知り得たのである。
処が更に、教導性――内容的普遍妥当性――は、学問性のまだ抽象的な規定に過ぎないことを注意しなければならない。尤も其が学問性を完全には規定し尽し得ないからと云ってそう云うのではない。そうではなくして寧ろ教導性概念それ自身の立場から云ってこの規定が抽象的なのである。というのは、教導性の概念は別に如何にして教導性を獲得するかというそれ自身に就いての顧慮を含んだ概念ではないからである。凡そ或る概念を分析する場合、それが観念的に有つ規定ばかりではなく、又それが実践的にもつ規定をも指摘しなければならないとすれば、学問性の概念――それが今は教導性であった――に於て、この教導性概念は学問性の(即ち又教導性自身の)観念的規定のみを指摘するに過ぎないと云うのである。何故そう考えられるかを私は他の概念を借りて明らかにしよう。法概念は人々が常に絶対的にそれに服従すべき筈の規定を持つものと思われる。もし人々が之に服従しないと仮定するならばもはやその概念が成り立たないようなそのような概念で法はあるのである。之は無論之だけとして何の謬りも含みはしないであろう。之が法概念の観念的規定である。処が吾々はこのような云わば自然法概念に対して又、法の歴史的概念を持っているであろう。歴史的法概念に対しては、観念的法概念は必ずしも自分の規定をそのまま強制することを得ないと考えなければならない理由がある。却って何かの非合法的な行為によって――而も法の・正義の・概念それ自身の名に於て――法が歴史的に変革して来たことは事実である。それ故法に対して実践的に取引をしよう――それが法の歴史を成すのである――とする時、事実人々は法の観念的規定だけからは多くを期待出来ないであろう。法の観念的規定はすでに成立せるものとしての、又はその成立の如何を問題にしない理念としての、法を説明することは出来る。併し別に如何にして或る法を獲得すべきかという――而も法概念それ自身に就いての――実践への顧慮を含んだ規定ではないのであるから。このようにして法概念に於て観念的規定と実践的(現実的)規定との対立を分析することが出来ると思われる。そして観念的規定は実践への特殊の顧慮をその内に含まぬ点に於て抽象的であるのである。概念分析の一例として挙げた上の場合はそのまま教導性の概念にも当て嵌まらなければならない。教導性は学問性が何であるかを説明する、そしてその説明はそれだけとしては正しい。けれどもこの概念は別に如何にしてその概念自身を実践的に実現するか――如何にして教導性を獲得するか――ということに関する顧慮を含んだ規定では決してない。教導性はそれ故学問性の観念的規定に外ならない、それは従ってこの意味に於て抽象的規定に過ぎないと云うのである。さて、学問性の(又教導性の)具体的(現実的)規定――それは実践への顧慮を計上した規定である――として吾々は何を持っているか。
私は眼を見張った。空気が変ってきたのだ。
「あッ、あの娘さんのや」
こういうのは、比較の問題ではない。絶対的な問題である。
「芸術家の夫に与ふる」といふような手紙を書くつもりなのでしたが。
彼女の手が窓からはなれようとした途端、白崎はうしろから抱きかかえた。オーバの上からだったが、彼女の肌の柔かさと、体温がじかに触れるような気がして、白崎の手はやけどをしたような熱さにしびれた。
さて以上二つの運動概念、発展概念の或るものと前後相承、は現象が一般に持つと考えられる根本的運動の代表的な二つの概念規定であるであろう。問われつつある運動――これも亦恐らく根本的運動にぞくすであろう――はこの二つのものから警戒される必要があった。
「お酒をおあがりになつて、」
加来さうだ、二人きりの方がいい。今、誰々が来てるのか、言ひなさい。
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